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島原そうめん史

そうめんの由来について

そうめんを作る風景画

 古くは奈良時代、唐菓子として伝来した『索餅』(麦縄)から由来したとする説が広まっています。
室町時代には現在のそうめんになっており、呼び名も索餅から、そうめんへと定着しました。索餅は、神饌として現在も用いられています。
絵江戸時代には、七夕にそうめんを細長い糸に見立て、裁縫の上達祈願として、お供え物とする習俗が広まっていました。

 

島原そうめんの由来について

 
海

西有家町の須川地区が発祥の地とされています。
(1637年(寛永14年)頃)

島原の乱の後、住民が居なくなった島原半島には、九州をはじめ各地から強制的に移民が集められました。また、幕府直轄領だった小豆島から多くの強制移民が当地に集められました。島原の乱の40年以上前より、小豆島そうめんは作られており、この小豆島そうめんが島原の乱後の強制移民によって伝えられたのが、島原そうめんの起源とされています。

 

神社由来の食物として縁起がよいとされたそうめんは、お供え物や引き出物として、また保存食として貴族の間で広く用いられました。室町時代から『索麺(さうめん)』の名で文献にみられました。『索』には縄をなう意味があり、その製法が名前の由来と思われています。
江戸時代以降、「さう」と「そう」の発音が混同されて『そうめん』ともいわれるようになり、『素麺』の表記が一般化しました。そうめんの「そう」に「素」の字があてられた由来は、麺の白さからと考えられています。

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普賢岳

温暖な気候、雲仙山麓の良質な小麦、塩と雲仙普賢岳の伏流水などそうめん作りの条件が整っていいたため島原手延べそうめんは、麺師から麺師に受け継がれた伝統の技を今に残しています。

   

 

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